アルメニアの古代史・近代史 Ancient and Recent History

アルメニアの起源は伝説の中に色鮮やかに残されています。中でも、大洪水後に方舟をアララト山に眠らせたノアの昆孫(ノアより6代目)であるハイクのことが伝えられていることから、アルメニア人は自国をハヤスタン(Hayastan)と呼びます。

紀元前9世紀には地方部族が集結してウラルトゥという王国を形成し、中東でも強力な王国へと成長しました。エレブニはウラルトゥでも最古の町の1つであり、782年に作られましたが、782年はエレバンの都市が生まれた年でもありました。2800年近くの歴史を持ち、エレバンは世界でも特に古い都市ですが、ローマが誕生する29年も前から現在まで機能し続けています。

紀元前1世紀になると、ティグラン2世のもとアルメニアは領地を大きく広げました。しかし、ローマとの戦争に負け領地を失い、さらに紀元前387年までにはアルメニアはペルシャとローマの二大国家に領地を分割されました。

紀元後301年のキリスト教の国家宗教化と、405年のアルメニア文字創造は、アルメニアの国としての威厳を維持し、文化と言語の繁栄に大きく貢献しました。これらの成果は、この時代多く行われた同化政策に対抗する術となり、他国に支配されていた何世紀もの間アルメニア人を守り続けてきました。

1080年にバグラティード王朝が崩壊すると、キリキア王国が建国されました。第三回十字軍のエルサレム奪回失敗や、他の歴史的事件が多く起こると、アルメニアは地域で唯一のキリスト教国家として重要な役回りを果たすようになります。地中海沿いに位置するキリキア王国は、国際的な貿易の場として西アジアとヨーロッパを結ぶ拠点となりました。キリキア王国はその後300年近く繁栄し、その間にアルメニア人はキリキア王国で認められるようになります。

ビザンチン帝国が倒れると、アルメニアはまたしても領地を分割・支配されるようになり、この状態は第一次世界大戦が終戦するまで続きました。ロシア帝国の崩壊に伴い、アルメニアは独立の機会を得ます。しかし、1918年にアルメニア独立共和国を形成するも、1920年、ソ連に併合されました。

第二次世界大戦においては、アルメニア人はソ連と共にファシズムに抵抗しました。60万以上のアルメニア人が従軍し、約20万人が戦場で殉死しました。アルメニアは将軍を60名と陸軍元帥を5名赤軍に派遣し、また108名が国家最高の栄誉称号であるソ連邦英雄を与えられています。

ソ連の属国として、アルメニアは広大な農業国から、科学・製造業の要を担う工業国へと変身しまし、金属加工や製鉄業、科学、軽工業だけでなく、食品や飲料、エンジニア、宝石、建築物資などが製造されました。製造された物資は連合共和国内へと送られ、アルメニアはエネルギー物資と原材料を受け取っていました。

 

70年ほどソビエトに支配されていたアルメニアですが、後に民主主義の思想と政治体制を採択します。そして1991年、アルメニアは独立宣言を発表。その年末には、アルメニア共和国は独立国家共同体(CIS)に参加します。独立後は、世界の全ての国家と友好関係を結ぶ政策を立て、現在もそれに追随しています。